構想の死角 “Murder by the Book”概略
今作は監督に映画スターウォーズ、アメリカングラフティ、THXなどで有名でない方のスティーブン・スピルバーグが映画「ジョーズ」でビッグブレイクする4年前に撮った刑事コロンボシリーズ作品です。
アメリカ初放送が1971年9月15日。
多分ミステリー小説とか全盛期だったんじゃ無いかな?って感じがします。
と申しますのも作品のモチーフになったのは「ミステリー作家(私はミステリーをミステリと言い換える風潮が大嫌い)による殺人」というものでした、これはのちに「死者のメッセージ “Try and Catch Me”」でも使用されますが個々の関係性が面白いです。
と言いますのも構想の死角は二人組のミステリー作家が片方を殺すという物語で、当時有名だったエラリー・クインという実在のミステリー作家がモデルだと思われます、エラリー・クインも二人組でした。
一方、死者のメッセージの方は大人気の女流ミステリー作家がモチーフで、こちらは恐らく当時も今も人気のあるアガサ・クリスティーがモデルじゃ無いかと思われます。
今回の犯人役はジャック・キャシディ演じるケン・フランクリンがマーティン・ミルナー演じるジェームス・フェリスを殺害します。
この二人、エラリー・クインの場合は構成を一方が考え、もう一方が小説にしていたのとは異なり、小説を考えるのも書くのもジェームスだけで、ケンはプロモーションを主に担当するだけ。
何も作り出していないのでした。
しかしジェームスはミステリー作家をやめて違う作品を書きたいからコンビを解消したいと言い出し、何も書けないケンは突然一人にされることになりジェームスを殺害しかけていた保険金を受け取った上で「ショックで作家を辞めた」という公表の仕方をして体面を保とうとします。
本作の映像的な注目点
人物と背景の使い方が特徴的です。
主演俳優はコロンボ役のピーター・フォークですがゲストスターのジャック・キャシディーの登場シーンはとても気を遣っているのが面白い。
車から降りた瞬間下から仰ぎ見るような角度(煽り)で撮影し、背後には天高く聳えるビルが映り込むところが有能なビジネスマンを象徴するようになっています。
被害者のジェームスが殺されるシーンもうまくできていて、妻に電話中にケンが射殺するのですが銃声がした瞬間電話の向こうの妻にカメラが移るのですが、ここで凝ってるのがすぐに銃声を電話で聞いて驚く妻から始まるのではなく妻がいる家に白黒の夫ジェームスの写真が大きく写ってから
妻が驚いて前のめりになるように左からフレームイン。
シーンの切り替わりで妻のいる家の方に移ったことと同時に画面全体に白黒の写真で被害者を写すことでなんだか亡くなったんだよという印象付けを加えてる気がします、そしてそこにかぶるように女性が顔を出してジミーと名を呼ぶことで妻のいる家のシーンだと伝えてるんじゃ無いでしょうか?
この一連の流れはほんの数秒で展開するのですがカットの切り替わりだけで驚くほどの情報量を与えてるあたり凄いなあと思います。
なんだか機動戦士ガンダム(1979年)でマチルダさんが去っていくのを見に走り込んできたアムロのセルで、それを複雑な思いで見ているフラウを覆い隠して見せてたあのホワイトベースのブリッジのシーンみたいですね(この辺は岡田斗司夫さんのガンダム講座に詳しいですね)。
ただ室内シーンは壁に俳優さんの影がくっきりしてて光源の方向が本当にわかりやすいです。
これは本作に限らず初回からほぼずーっとこの調子です。
この結果陰影の大きなシーンが多くなってますがまあそんなこと気にはならないですね。
多分照明装置がまだ大きいのしかなくて上手く光を回せなかったんじゃ無いでしょうか?
テレビドラマって映画ほど予算ないだろうし。
古い映画だと天井のないセットで上から照明当ててましたし、市民ケーン(映画)では天井ありのセットながら取り外しやすいように工夫したりしてたようです。
コロンボの場合は実際に存在する建物使ってますから照明にも限界があったんじゃないでしょうかね?
ジャック・キャシディーが演じたケン・フランクリンのキャラクター造形
徹底的に悪役に徹するのが上手い俳優さんだったんでしょうね。
とにかく酷い事を悉くやってのけます、そりゃあもう気持ちいいくらいに悪人です。
インタビューに来た記者とカメラマン、連れの女性と劇場の外で偶然を装って遭遇された店の女主人とのやりとり、本職のコロンボに対する捜査に関する意見の出し方、その見解。
まあ酷い酷い。
特にジェームスを殺害した直後のシーンも大注目ですよ。
車のトランクを開けて兼ねて用意の毛布を広げて殺害した長年の相棒を運び出そうとする時、急に電話がかかってきて屋内に戻るんですが、その戻り方。
小高いところからちょっとジャンプして降りるんですよ、あんなの機嫌がいい時にやる仕草じゃないですか?
それをあえてやった上に射殺した相手を眺めながらお酒飲んでその一連のシーン終わるんですね。
まあ見事に嫌なやつを演じ切ってくれてます。
流石はコロンボで犯人役を2回も演じただけのことはあります。
他人の書いたものを盗用する者を憎んだ内容
この作品の根底には他人の仕事を自分の手柄にすることの醜さとそれを憎む人の気持ちが現れているように思えてなりません。
他人の書いた文章を適当に盗用しちゃう人って居るんですが、刑事コロンボを本当に好きならそんなことはできないはずです、だってこの作品がありますからね。
ケンは結局小説のアイデアになりそうなものを1つしか生み出せず、小説の方は1行も書いていません。
ですがジェームスの妻はまるでケンが自分で書いたように記者に言ったりするのを苦笑いしてコロンボに話すシーンがあるくらいです。
そしてその作家を偽装してきたケンの命運が本当に作品を書いていたジェームスの離脱で窮地に陥るわけです。
ほらね、ネタ元がなくなればケンなんてこんなものさ。
この作品はそう言いたいのではないかと私には思えます。
犯罪は割に合わないのです。
コロンボオムレツ
ところで作中コロンボが被害者の妻にキッチンでオムレツを作るシーンが出てきます。
レシピは卵、玉ねぎ、粉チーズを混ぜ合わせてオムレツを焼くというもの。
これ私もちょっとレシピいじりますけど週末によくやるレシピになっています。
焼く時にはいつも「コロンボのオムレツ」ってちゃんと言いますよ。
ええ、決して他人のレシピを自分のレシピのようには言いません。
コロンボ好きだしこの作品を見てますからね。